2007年10月14日日曜日

Because it is the right thing to do

 1966年だからちょうど40年前、筆者が南アフリカのプレトリアに住んでいた時、ロバート・ケネディが南アにやってきた。南アはアパルトヘイトの全盛時だった。そのアパルトヘイト政策に反対して拘束されていたケープタウン大学のイアン・ロバートソンの招聘に元米司法長官が応じたのだから、南アにとっては大変な事件だった。

 人種差別の政権を支持する多くの南ア国民にとってロバート・ケネディの来訪は迷惑そのものだったに違いない。だが、心ある市民にとっては自由と平等の伝道師に映ったに違いない。

 ロバート・ケネディの南ア来訪は、15歳の日本人の少年にとっても衝撃的出来事だった。人種差別をなくさなければならないという理想をあちこちで振りまいたのだから当然である。少年を感動させたのは単純な一言だった。「なぜ人種差別をなくさなければならないか。それは「そうすることがright thingだからだ」と述べたからだ。

「そうすることが正しいことだから」という一言はその後、ずっと筆者の思考や行動の規範となっていた。

 ケネディの南アでの言葉は、同国のリベラル紙「Rand Daily Mail」の冊子として残された。母は「Robert Kennedy in South Africa」と題したその冊子を英語学習の素材とした。筆者は母が読み終わったその冊子をもらって一字一字読みこなそうとした。母の書き入れがたくさんあった。

 当時の筆者の英語力ではかなわないものだったが、大学入試の時に読み直し、その後も何度か声を出して読み返している。部分によっては暗記してしまった。アメリカの良心がまさにここにあるという大切な冊子で、高校の日本史と世界史の教科書と同じように筆者にとってバイブルのような存在だった。

 アメリカという国はどういうことを考えているのか。今でもそういうことを考えるときに読み返す教科書となっている。数日前から、再びその冊子を読み返し、デジタル化して残しておこうと考えた。

 ケネディが1966年6月6日、ケープタウン大学で行った「Day of Affirmation」と題した演説を一字一字ワープロに打ち込んでいて、そのタイトルのDay of Affirmationの意味について考えた。何かキリスト教的な意味合いがあるのではないかと思って、ネットで検索したところ、偶然にもその演説のテキストを発見した。

 感動したのは、40年前に世界の片隅で語ったロバート・ケネディの演説が実は彼の残した数少ない演説の一つとして存在していたことであった。その上、彼の音声までネット上で聞くことができたことに心が震えた。
 
  We must recognize the full human equality of all our people ? before God, before the law, and in the councils of government. We must do this, not because it is economically advantageous ? although it is; not because the law of God and man command it ? although they do command it; not because people in other lands wish it do.
 We must do it for the simple and fundamental reason that it is the right thing to do.

 Day of affirmation前文は以下のサイトで。
 http://www.yorozubp.com/0605/060516.htm

1 件のコメント:

yk さんのコメント...

はじめまして。right thingというフレーズでGoogle検索したところ、こちらのブログにあたりました。私は翻訳の仕事をしているところで、何気ない「right thing」という言葉はどう訳されているのか、息抜きがてらに調べていたところでしたが、興味深い内容でしたので、一言コメントを残させていただきました。

私自身は幼少のころにマレーシアに2年ほど住んでいました。70年代半ばのことでした。中国人は経済的に裕福でした。サルタンたちはマレー人ですが、多くのマレー人は極端に貧しかった印象です。貧富の差は宗教とも関係があったことは当時もなんとなく感じていました。
私が家族と住んでいた同じマンションには、片腕の退役軍人のアメリカ人が住んでいました。


住んでいた家のマンションの前で、トタン板を数枚立てかけただけの小屋があり、子供がいつも素裸でそのあたりにいました。地面から突き出した水道管には蛇口が付けられていて、子供はよく水浴びをしていました。
王宮の脇を流れる川を隔てた、すぐ反対岸でした。

そのころ私は幼稚園に行くかと親に聞かれたのですが、それは中国人向けの幼稚園でした。はっきりとした理由を意識したわけではありませんでしたが、自分は幼稚園にはいかないと強く拒絶した記憶があります。
結局、隣の部屋に住んでいたフィリピン人の家族の、同じ年頃の子どもと遊んで日々を送っていました。

理性的な決断ではなかったのですが、確かにのちの自分に影響があると感じます。というよりも、自分があのころに感じた影響は何だったのかと追い求める部分もあるように感じています。

長文で失礼いたしました。
またいつかこのブログが更新されたらと願っております。